「たねつみの歌」感想

すんごい泣かされた。
いやさあ、この歳になると家族ものには弱いんだよおっさんはマジで……

ANIPLEX.EXE というブランドに対して正直自分はあまり好感を抱いてなかった。「ノベルゲームだから、おもしろい」なんかという標語を掲げながらどうせ陳腐なストーリーを作って初心者向けのありきたりの芯に届かない感動ゲームを出してライト層の人気を集めるブランドだと思ってた。その考えは「ATRI」をクリアした後も変わらなく、実際「ATRI」はそういったゲームだった。それ自体は一概に悪いこととは言えないが、たぶん自分の中のヘビーエロゲーマーとしてのくだらない矜持がそんな薄っぺらのタイプの作品を認めたくなかっただろう、それで「ATRI」をクリアした後しばらくそのブランドの作品をあえて触れなかった。
今回この作品に興味を持ったきっかけはあるやることのないだるい日に ES でゲームを探してる時評判がそれなりによかったと思い公式サイトに飛んで見てみたらアニメ特有の独特な絵柄に惹かれたからである。紹介やストーリーを見ずに直感でやってみたいと思ってプレイした。
結論というと、薄っぺらとか言ってマジですまなかった……「ATRI」はさておいて、「たねつみの歌」は本物だった、芯にぶっ刺さるものだった。そして何がすごいというと、本当にプロデューサーの島田の言うとおりに、初心者も上級者も誰でも楽しめられるゲームになっていたこと。おとぎ話のようなストーリー構成とテキストの分かりやすさがハードルを下げ、シナリオは人間性の明るい部分も暗い部分も混ざって濃いものになっていた。そして何よりもこの作品は恋愛ものではなく家族ものだったこと。
これは自分の勝手な想像だけど、ビジュアルノーベルという媒体において家族ものを書くのは恋愛ものよりずっと難しいではないかと思っている。恋愛ものは主人公にユーザを感情移入させてどうにかヒロインをユーザに愛されるかに懸念しているに対して家族ものはユーザの感情移入が難しくていいものに仕上げるのは大変だったはず、それでもこんな素晴らしい作品に仕上げられた制作陣の凄さを感じられる。

まずは物語について。
プロローグでは個性それぞれの母娘三人のやりとりが面白い。3 人の母娘は同じ年齢ではあるが、育った時代が異なるので、それぞれ違う価値観を持っている。そのコントラストや掛け合い、それと少し現実味を帯びた未来世界を楽しめる。

image

神の世界においては、春夏秋はそれぞれ三種類の家庭を表していると思う。春は一般的な、或いは親が子を少し甘やかしている家族。夏は等級がはっきりと決められている家族。秋は親から愛されなかった子供の持つ家族。ヒロイン三人は国々を旅する中で色んな経験をする、その中で自分的に印象が深かったのは

  • 春の国で陽子がみすずにニワトリを絞めることをやらせないシーン
  • 夏の国でツムギが津波に巻き込まれてみすずが一瞬で世界を見る目を変えたシーン
  • 秋の国でタヌキの旦那が自分たちが愛されてないにもかかわらず後世へ愛を残す決意を語るシーン
  • 冬の国はほぼ全部

春の国でこの世界の構成を知り、夏の国で家族はいいものばかりではないと知り、秋の国で一休みし、冬の国で限界に挑む。

冬の国で諦めれば苦しさから解放されるのに諦めずにいたみすず、ツムギを助けるために自ら正気を捨てるみすず、哲学の答え探しをみすずとツムギに託した猫氏、みすずを諦めずに背負って巓を登るツムギ。それら全部心にしっかりときていて泣いてた。特にみすずがツムギに背負われて何度も「無理だよ……無理だ」をツムギに告げるシーンがやばかった。こんなボロボロになっても諦めない人は自分の未来の娘と思うとみすずはその時何を思っていたのだろう、誇らしい気持ちになるかな。そんな二人の意志を目にした陽子もたぶん、自分の娘と孫娘もこんなに頑張っていたのに自分だけ逃げるのは違う、絶対にみすずが産まれるまでたねを絶ちたくないと思い、本来そこまでの命を意志で伸ばしたと思う。三人とも本当にすごかった、応援したくなる気持ちでいっぱいだった。

image

物語を進めていく中で降り積もった問題もたくさんあった。

死は一人のものではない。
自分にとっての誰かの死も一つの死の体験、死んだ人は自分の世界からなくなるだから。たぶん死にそれなりに触れてきた人にはすごく響くんじゃないかと思う。この死の体験は葬式だけではなく、普段の生活の中でふとその人を思う瞬間から続く「あ、もういないんだ」と思う感情がメインだと思う。葬式という非日常的な場は現実味が薄く逆に普段なじんでる生活の中でこそ死を一番感じ取れる。

image

ヒルコが言う「子供は化け物」。
子供は誰かを親にしてしまう加害者、人を変えてしまう化け物、その存在は暴力。
誰の親だって、親になる前に他のなにかのために生きていただろうに、子供が親を親にしてしまったから親は子供のために生きる。春の国で陽子が自分でニワトリを捌くのはみすずを守るように、夏の国でみすずを取り巻く世界が変わってツムギしか残ってないように、子供という存在はまだ親になってない 16 歳の少女すら変えてしまう。「子供は人を変えてしまう化け物」自体の善し悪しはこの際重要なことではなくそれを自然現象として考え、客観的に見てエフェクトがバケモノレベルな絶大である。この問いに解はない。我々は人類である以上、生物である以上この問題は解けることはないでしょう。
親ってなんだろうね……

家族とは言え、それはいいものばかりとは言えない。
これは夏の国の出来事とツムギの回想シーンで明らかにされた誠司さんの実家の人々の関係性で表されている。家族という血の契約は強すぎるからいい方向にも悪い方向にも他の関係性より遥かな力を持ちバランスを崩していく。Kazuki さんのインタビューで読んだ言葉を借りると「家族には、一生忘れられない傷をつけられるだけの負の力もあると思って、いいところから悪いところまでのスケールで、家族をテーマにした作品を描きたいと考えました。」
その決断は素晴らしいと思っている。実際悪いところを書かなかったら本作は「家族っていいよね」みたいな薄っぺらの作品になってしまうだろう。

猫氏が言う「生は暗い、死もまた暗い。では一体何が明るいのか」。
猫氏の最期はかっこよかったな……この問いの解は陳腐なものになるでしょうからあえて明確にしないが、猫氏の言葉を借りるなら
「何故、戦う。約束された敗北へと挑む。吾輩は、そのこころをしりたい。それが生や死を暗くする、明るさの正体な気がした。」

image

エピローグはこんなに長くなるとは思わなかった、一度こんなに長いならもしかしてツムギが 16 歳まで続くかみすずが死ぬまで続くかと思ったけど、まさかツムギが産まれるところで終わっちゃった……えぇここまで書いてきたのにそこで終わるのマジ……?と Kazuki 氏を問い詰めたかった。

image

エピローグは物語の旨である「たねつみ」を現実世界への投影でもあった。
神の世界ではたねつみは前世代が自分を犠牲に後世代に愛を残す儀式であり、現世においてそれは親が子に愛を託す過程である。ここはみすずの言葉を借りて表現しよう

「わたしがしてもらえたこと、嬉しかったこと。あんたにも、してあげる」

そうやってたねつみの歌は世代を越えて伝わっていくのだ。

最後に、この作品のスケールを考えるとこれ本当にロープラの作品……?と思わず疑ってしまう。タイトルによってはフルプラの作品より立ち絵も CG も音楽の数も上回っているんじゃないかと思うくらいのレベルの作品だったし、シナリオもしっかりしているし……いやマジでなんでこのゲームロープラなの?どんな魔法を使っていたのか制作陣に小一時間問い詰めたい。
そして Kazuki さんや、ANIPLEX.EXE の今後の作品も期待している。素晴らしい作品に出合わせてくれてありがとう。

References

 Comments
Comment plugin failed to load
Loading comment plugin