「アサガオは夜を識らない。」感想

結構前にクリアした作品。クリアした時点に思うことは特にないんだが、何故かその中のセリフがずっと引っかかって心から離れないのでこうして文章にすることにした。

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ゲームのシナリオに関しては普通だったし、特に心に触れたことがない。なのでこの文章の本懐はゲームそのものの感想ではなく、正確に言えばその中のセリフの感想である。

「人間は全ての物事に対し許容の上限を持っている。
そしてそれは、環境によって引き上げられ、本質的に下がる事はない。」

人は環境によって強制的に変わるのは誰でも一度は体験したことがあると思う。この摂理について昔の自分は積極的な態度を持っていた、つまり多く体験して多く慣れる、強制的に自分を色んな環境に慣れさせる。「まあどうせ慣れるからしばらく我慢するか」など、いわゆる叡智に生きるための経験。

だがそれで本当にいいのか?慣れるを言い換えれば麻痺すると同じ意味を持つ、そしてそれは「本質的下がる事はない」、一度許容上限が引き上げられればそれは不可逆的な転変になってしまう。もっと具体的な事を言うと、昔の俺は残業を憎悪し個人時間を大切にしてる怠け者だったが、環境によって強制的に残業をさせられ、反抗や疑問を抱く事すら面倒くさくなってゆくゆく慣れてどうでもいい人になってしまった、その時はもう、既に戻れない。そんな展開になりたくない。

もう一つ、最近やっている「クロガネ怪奇譚」伏姫ルートの中校長先生が言った言葉もすっごく印象に残る。

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通常の場合こういう時大人が言うのは一時我慢をすれば良い深く考えるな世界はそういうものだなど、問題をはぐらかす。徐々にはぐらかす事そのものにも慣れてしまう、それは良いものなのか悪いものなのかは分からない。でも疑問を抱く、抱き続く事は確かにとても大事だと思っている、表に出さなくていい、心の中だけに抱き続けてもいい、それは夜空の星のように、暗闇の中の火種のように、心を照らしてくれるはず。火種を消すの方が賢いかも知れない、その方が何倍も楽かも知れない、でもそれを敢えて選ばないのは性分だし自分が本当にしたい事だから。

ここで「幻燐2」の中の水精の言葉を思い出す。「私は水と同じく、全ての色に染まり、全ての形に添い、全てと同化する」。中国語で所謂“上善若水”の境地。疑問を消せないのは、この境地にまだ辿り着いてなかったかも知れない。なので疑問を抱き続くと全てを受け入れ同化するの二つの生き方はそれぞれのメリットがある、その上同化する方がメリットが遥かに大きい、時々疑問は破滅への道しるべにも成るし、尤も血に飢えているものも疑問だから。

昔俺も疑問を抱いたタイプの1人。大学卒業して社会人になったばかりの頃、当時の会社のやり方やルールなどは常々俺を煩わせていた、表面上は当然従うんだが心の中は反抗的だった。そのまま繰り返し二年が経つと、やはり同化された。そういう状況に出くわすと不満はあるが慣性的に無視することができた、いちいち気にすると終わらないからね。これはいいことか悪いことか、どっちもだろうと思うが、やはり俺は疑問を抱く方がいいと思う、だってかっこいいから。例え血に飢えているだとしてもそれはその瞬間の自分にとっての真実だから。

なので、人を強引的に特定の環境下に置いてその環境の力に借りて更生させる手段は俺は懐疑的に思い始めた。でもそんな環境下に居ながら敢えて変わらないのはもっと辛いし、愚かな生き方だと思ってる。だが唯心主義者にとってそれこそ最悪な生き方。でも人は所詮物質的な世界で生きている、物質こそ思考の基盤。

だからこの問題についていくら考えても正解はないだろう。

つまりこの文章を書く俺は時間を無駄使いにしているだけに過ぎない。

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